土御門の秋 現代語訳。 紫式部日記の現代語訳が知りたいのですが…

紫式部日記『秋のけはひ』解説・品詞分解

同じくは御形見を給ひて、且は後日の思ひ出にもし、且は末代の物語にも」と申されければ、「尤も」とて、翁先づ白き浄衣を脱ぎて保昌に奉る。 はいはい、ひどい言われようです 笑 この文面をどう受け取るかは人によって大きく違ってくることでしょう。 けれども、経済的に困ってくると、家柄はすばらしいのに出仕しなければならないということが起きてくる。 年月不明記の詠五十首和歌。 その後、戦を鎮めたという書状(解状)を朝廷に送ったが、その天子様への奏上に天子様はたいそう感動された。 意味は「一晩中・夜通し」。 さて将軍義家は、国解(こくげ=太政官への報告書)を次のように書いて都に送った。

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古文品詞分解現代語訳記事一覧

われもわれもと、声をはり上げた伴僧の読経の声々が、遠く 近く、聞こえてくるのは、盛大で尊い思いがする。 3 武衡の処分 将軍は、生け捕りにした武衡を御前に召し出し、自らで尋問に及んだ。 そのため、一族ながら家来(郎従)と同じ立場に置かれてしまった秀武は、真衡に対し深い恨みを抱き、ついに合戦を仕掛けた。 九重の卿相侍臣よりはしめて、諸国の上下土民にいたるまて、或は父母兄弟にわかれてむねをこかすともからもあり、或は妻子眷属を失て袖をうるをすやからもあり、洛中洛外にかなしみの涙尽かたく、村南村北になくこえたえさりけり。 御在所は何方にはおはします」と尋ね申されければ、老翁宣ひけるは、「我は住吉の辺りの旧仁なり」とて幻の如くにて失せ給ひぬ。 「御前」に対する敬意。

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紫式部の女房批評③~清少納言~

〔口訳〕源経信は、ことに格調高く、流麗であって、しかも機知や趣向にすぐれているように思われる。 絶えせ=サ変動詞「絶えす」の未然形、絶える、尽きる ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形 おとなひ(音なひ・訪ひ)=名詞、音、響き。 不思議なる事の侍るは、天台座主慈恵大師の御弟子御堂の入道殿の御子の幼き児を取りて、鉄石の籠に込め奉る所に、彼の児、他念無く法華経を読み奉り給ふ御声、暁様には是まで聞こへ侍るぞや。 やうやう 涼しき風のけはひに、例 の 絶えせ ぬ水の おとなひ、 やうやう=副詞、だんだん、しだいに の=連用格の格助詞、「~のように」と訳す。 其の時、頼光兜を脱ぎて、老僧重ねらる。 延慶本は恨み言の語りを載せていないが、六道語りの屋島落ち(餓鬼道)と壇ノ浦(地獄道)の間に、六道に対応しない大宰府落ちの記事を挟んでいる。

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口訳 後鳥羽院御口伝 5

特に力自慢の兵を幾人か呼び寄せ、その中からとっておきの猛者を選んだ。 [Content protected for 管理者限定 members only] 酒呑童子の説話をいまにつたえる代表的な2大文化財である、 香取本 かとりぼん 『 大江山絵詞 おおえやまえことば 』( 逸翁 いつおう 美術館所蔵)と、 古法眼本 こほうげんぼん 『 酒伝童子絵巻 しゅてんどうじえまき 』(サントリー美術館所蔵)の、2つの絵巻物について ちなみに、酒呑童子の説話をいまにつたえる代表的な2大文化財(絵巻物)として、 香取本 かとりぼん 『 大江山絵詞 おおえやまえことば 』(所蔵)と、 古法眼本 こほうげんぼん 『 酒伝童子絵巻 しゅてんどうじえまき 』(所蔵)の、2つの絵巻物があります。 どうにかして、京に帰りなさい。 その隙を突くことは、今まさに天が与えた時というものである。 斯かるを聞くに、由々しき事を聞くものかなと思へども、然らぬ体に持て成して、門の際なる廊へ人々をも入れ奉りぬ。 そなたはすでに副将軍となっている。 この娘は頼義朝臣がその昔、安倍貞任を討とうとして、陸奥に下ってきた時、旅の仮の宿で宗基の娘に生ませた女子であった。

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紫式部日記の現代語訳が知りたいのですが…

当国内の者は、一族も含めみな従者(家来)のような状態となっていたこともあり、真衡は隣国の常陸国の多気権守宗基といふ武者の娘に目を付けた。 お仕事がまったくはかどらないというわけです。 双方の戦士の戦いは、すでに一時間が経過した。 対義語「日もすがら」。 奥州後三年記下終 此記不知何人作也。

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紫式部日記『秋のけはひ』解説・品詞分解

建保四年 1216 、堀川百首題によって詠作した百首歌。 城中の美しい女たちは、兵士たちが争って取って、陣内の奥で乱暴された。 俗にこれを「八幡殿の後三年の軍」というのである。 とはいえ、赤染衛門を批判するわけにもいかないから、和泉式部を少し否定することで客観性を演出している、と。 「御前」に対する敬意。 8 薄金が消える 義家軍が、総力を尽くして、攻め落とそうと戦ったのだが、城(金澤の柵)は一向に落城することはなかった。

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『紫式部日記』彰子中宮のサロンがつまらないのは中宮のご気性ゆえ

陸奥国では、自らで仕上げることを「手づくり」というのである。 季方が近くに居るにもかかわらず、家衡は隠れて現れなかった。 我は是、土御門の内府宗成卿の第三の女なり。 」 と伝説になっているところがあります。 7 義家城戸を出て来た女と子どもを惨殺す 武衡、家衡の立て籠もる城中では、飢が酷くなって、まず女性や子どもなどを、城戸を開いて出てきた。

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『紫式部日記』「土御門邸の秋」の現代語訳と重要な品詞の解説2

形勢は、将軍の兵士の数が多いこともあって、城内より下ってきた武衡軍の兵士は、ことごとく討ち取られてしまった。 昔より今に至るまで、賢王数多ましますと言ひながら、衆生化度の方便によりて、粟散の王とは生じ給へども、慈尊下生たるに依て慈氏の化儀を施し給ふ。 2 近う ク活用の形容詞「近し」の連用形。 義光は、このことを兄の将軍義家に報告した。 2 入りたつ タ行四段動詞「入りたつ」の連体形。 その矢を折り、当たった矢を、また射て敵を射取った。

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